【感謝】は、私たちの変容を後押ししてくれるエネルギー。
『感謝は大切』と思いながらも、日々をぞんざいに過ごしてはいませんか?感謝がどれほど大切なのかということを、知識として持ち合わせてはいても、実際に感謝を実感することの何て少ない日常を過ごしていることでしょう。
感謝の言葉『ありがとうございます』→『有り難いことでございます』→『有り難しこと』→『有ることが難い(むずかしい)』
ありがとうの語源は、ほぼ奇跡ということですね。滅多にないこと、珍しいことだといいます。これに関しては、多くの人が知っていることです。お釈迦さまも、キリストも、どのマスターたちも、【感謝】の大切さを説いています。何度も聴いて既に知っている情報程、私たちは軽く受け流してしまうものです。そんなことは『分かっている』と、特に気にもとめません。
当然『分かっている』ので、何か特別なことがあった時には、心から感謝します。でも『特別』だから感謝したわけで、日常に感謝は溢れません。次の特別なことが起きるまで、【感謝】はないのです。。。
【ありがとう】を知るある家族の物語
ご主人が、『肩が痛い』と整骨院に通いました。奥さんは『ふーん』と思うだけで、特に心配はしていません。痛いのは肩だし。『私もいろいろあるし、忙しいし』と特に気に留めることなく、日常は過ぎ去ります。
これが後に、どれほど自分を後悔のどん底に突き落とすかを、この時は知る由もありません。
夕食が終わり、階段を上がって行ったはずのご主人が、大きな音を立てて階段から滑り落ちました。驚いた奥さんが急いで駆けつけると、胸を抑えて苦しんでいるご主人が目に飛び込んできます。すぐに救急車を呼び病院へ。しかし・・・・ご主人が元気に家に帰ることは二度とありませんでした。肩の痛みは、心臓が原因だったとのこと。。。
あの時、もっと気遣っていれば・・・
あの時、何故もっと優しくできなかったの・・・
あの時、もっと話しを聞いていれば・・・
悔いても悔やみきれない自分の態度を、しばらく許すことができませんでした。日頃のご主人へ、感謝を伝えられなかったことを悔やむ日々。この時の奥さんには、自分を責める方法しかなかったのです。。。
ありがとうの反対語が、日常に感謝を溢れさせる
『ありがとう』の反対語は、奇跡の反対ですね。【当たり前】です。
当たり前に来るはずだった明日が来ないことを知って、初めて、その有り難さを知る家族の物語は、実話です。
当たり前の日々。
当たり前にご飯を食べて、当たり前にお風呂に入って、当たり前に明日を迎えることが出来る。当たり前に来る朝。当たり前に支度をし、当たり前に家を出て、当たり前に仕事をする。当たり前に人と会い、当たり前に会話し、当たり前にまた会えると思う。当たり前の日々。
当たり前に、そんな日々が繰り返されていくはず。いつまでも。そして失って初めて、それがどれほどかけがえのない日々かを知るのです。
健康を崩して初めて、健康のありがたみを知ります。私たちは、何かを失ってみないと気づけないのでしょうか?
感謝は、するものではなく、溢れるものです。当たり前ではないことにただ気づくだけで、感謝は自然に溢れます。当たり前ではない奇跡が折り重なって、日常を創り出しています。日々は、これほどの奇跡に満ち溢れているのです。ほんの少しタイミングがずれたら、出会うことのなかった人たち。この出会いが、人生をドラマティックに彩ります。どんな出来事も、この出会いによって創られていくのです。人生の問題も、チャンスも、同様に奇跡的な出会いによって創り出されていくのです。
人生は【生きて】、【出会い】、縁を描いていく奇跡の連続。
決して当たり前ではないことを知ると、全ての事に感謝せずにはいられません。溢れる感謝で、日々をまた、重ねていくのです。
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