直観的知性とはなんでしょう?
自分が、どうんな風に直観を使うことができるだろう?直観を磨くにはどうしたらいいだろう?と、考えたことがあるかもしれません。直感とは、精神的なこと・・・なのでしょうか。直観を持つには、特別なスキルが必要・・・でしょうか。
直観は内なる声、内なるフィーリング
直感は、誰もが持っているものです。既に持っているのですから、特別なスキルを必要としません。直観について学んだり、努力も必要としません。直観とは、一人ひとりの中にある、内なる感覚、内なる声なのです。直感は、内側にある感性、繊細さ、フィーリングのことなのです。
誰もが持っている直観、これほどまでに親しみがないのは何故なのでしょう?
それは、私たちの中にある【直感】に、意識的に繋がることを学ぶ機会がなかったからです。私たちは、学校教育の中で、論理的な知性をたくさん学びました。論理的にマインドを使うことは学んでいるのです。この論理的なマインドは、私たちが生きる上でとても重要です。ただ、論理的なマインドは、とても制限された状態でもあります。論理的なマインドは、内側深くにある私たちの本質、Beimgを知りません。
私たちの内側には、論理的な知性とは少し違った知性があります。そして、私たちがもし【感覚】を持っていなければ、こうした情報に触れることはありません。
既に使っている直観
自分が気づいていないだけで、私たちは既に直観を使っています。例えば、母であるとしたら、子どもが『おかしいな』と、とすぐに分かることがあります。その子が、何を必要としているかが、母には分かるのです。こうしたことは、考えて分かるわけではありません。親しい友人、愛する人が、いつもと何かおかしいということが分かる・・・これが【直観】です。
『ただ、分かる』のです。知るという感覚が、内側からやってくる・・・ということが分かるかと思います。
また、よくある例えですが、誰かのことを思っていると、その人から連絡があったりします。これもまた【直観】の表現ともいえます。
更には、私たちは日常で何かをしたり、行ったり、することがあります。どうしてかはわからないけど、そんな気になったから、そうするというような、曖昧な感覚で何かを行うことがあります。その時には理由が分からないことが、後から振り返った時、それをすることは正しかったのだと分かることがあります。あれをしたのは、あそこに行ったことは、こういうことだったのかと深い理解に包まれることがあります。また、誰かに贈り物をしたとき、『どうしてこれが必要だと分かったの』と、言われた経験が、あなたの人生にもあったかもしれません。
直観は、このようにいたって自然に、既に使ってるのです。自分の内側から【分かる】という瞬間が、誰にでも思い当ることがあるかとあるものです。この【分かる】というのが直観なのです。
直観は、人生のGPSとして私たちを導く
直感的知性は、ハートから生まれます。ということは、【直感】は、【今、この瞬間】から生まれてくるということです。
論理的知性は、過去からきています。過去に学んだこと、経験したことから、論理的知性はやってきます。それはとても役立つことがあります。論理的知性は私たちに日常の合理的で便利さを与えくれ、その恩恵に日々、あやかっています。ただ、過去から学んできたことだけでは十分ではないことが、時にはあります。既に知っているものだけを見る、論理的なマインドには、どうしても限界があるのです。
直観というものを通して、状況や、人を見ると、【今、この瞬間】から、新しい目で周りを見ることができます。直観と繋がることを通して、私たちは自信をや信頼を与えられます。自信を与えられることでその瞬間、明晰性がやってくるのです。
直感は、瞬間、瞬間をガイドしてくれる内なるGPSなのです。
直観は、普段は見えない【深み】を見せてくれる
直感的知性は、表層の内側にある深みを見ることを可能とします。より深い観点から自分や人、状況を見ることを可能とします。
例えば、自分の知っている人に、何かを頼もうと試みることにします。それはその人の仕事なのだから、私が頼みたいものができるだろうと思って依頼するのです。でも、その人が自分の期待通りにしてくれないと腹を立てます。
この日常にありふれた出来事を、直観的知性を通してみると、その人のことをもっと深く知ることができます。その人の持っている強みが分かるからです。相手に求めているものが、実際には、その人は持っていないことが分かる。この理解によって、その人にやってほしいというのは無理強いなのかもしれないと自分を省みることができます。すると、この件に関して別の解決策がみえてくる。そんな風になると、自分の人生も相手の人生もとても楽なものになります。
自分に対する期待が、自分自身を追い込むということは、よくあります。期待に応えなければと思う。変わろうとする。頑張って、頑張って、上手くいかないと、嫌な気持ちになります。
これを直観的知性から自分を見てみると、もっと深く自分をみることができるのです。
自分が自分に課している期待は、実は『お母さんの期待だった』と分かることは、クライアントの中でもよくあります。あれほど望んでいたものが、実は自分が望んでいたわけではないという自分への理解は、衝撃的で解放的です。それは、人生で知らないうちに背負っていた重たい荷物に気づけ、手放すことを可能にします。また、自分の違った強みを発見する人もいます。直感的知性から、自分の質や才能をどう表現するかがわかるのです。
自分のことも、他の人のことも、困難な状況でさえ、【深み】から視ることで、人生に新たな機会をもたらすことができるのです。
直観が、新たな選択肢に気づかせてくれる
直観的知性は論理的マインドを含む、とても大きなものであるといえます。論理的なマインドに、もっと広い視野を与えることができます。
直観に気づいていないと?どなるでしょう。
論理的なマインドによって、知覚が制限されます。例えば、決断をしないといけない状況の時、マインドは2つ以上の複数の考えを持っているものです。『散歩する』のか、或いは『仕事をする』のか?論理的なマインドは、異なった考えがいつもそこにあるものです。その『考え』同士が頭の中で口論する。『考え』同士が、お互いを間違っているという。これを、葛藤と言います。
そんな時、直感的知性に繋がることができると、自分にとって正しい感じがするのはどちらかを自分に聴くことができます。全体を知覚することができるのです。直観的知性は身体を含むので、身体が疲れていることに気づく。同時に、仕事も大切なことに気づく。誰かに助けを求めることの選択肢を含む。自分には時間があることも気づく。いろんなことを含んでいます。
散歩に行くことで、仕事がはかどることがわかる・・・。あと30分やればこの仕事が終わると明晰性がやってくる・・・。その後に散歩に行けばいいと、ハートの直観から明晰性がやってくる・・・。というように直観は、勝つか負けるか、我慢するか、妥協するか、強行するかというような緊張状態の葛藤から、全ての要素を含む新たな解決策を提示してくれます。
いつでも自分を追い込むのは自分です。どれだけ考えても他に手はなかったはずの状況から、新たな選択肢があることに気づけるのです。また、そこまで追い込む必要がないという事実にも気づくことができます。直観は、私たちの左脳的な生き方に、ゆとりを取り戻し、自分にとって本当に大切なことを照らし、善き方向へと導いてくれています。
エンパワーメントクラスでも、個人レッスンでも、直観の時間は充分にとり、ご自身の直観と繋がります。
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