私たちは、生まれる前に約束してきた魂たちとの出会いによって、過去世での学びの続きを成就させようと、今生を過ごしています。
それは無意識下で行われていて、通常は、知る由もないレベルかもしれません。ときに傷つけ合いながら、ときに憎しみ合いながら・・・、それでも人生で起こり得る全ての本質は、魂の成長を遂げるための学びです。そこには、思考には到底計り知れないほどの、深い愛のレッスンがあります。
修了するまで繰り返す魂の学び
私は、長年続く母との確執に嫌気がさしていました。それでも、彼女を愛していることをどこかで知っている私は、優しく接することができない自分自身の言動にも、ゲンナリしてしまうのです。
そうした時にとても助けになるのが、過去世での記憶です。
ここを思い出すと、今生での配役に納得がいき、現実を案外受け入れられてしまう。
更には、あれほど嫌いな母に対して、感謝さえ感じてしまえるのです。過去世を思い出し、壮大なテーマにを知ることで癒されるのは、私だけではありません。これまで、数多くの方の人生に寄り添ってきました。そこから視えるのは、人生に起こる出来事や、そこに関わる人の、なんて因縁深い魂の学びなのかということです。
魂の宿題を持ち越し、今生果たすべきことは何でしょう。その為に必要な人間が完璧に配置されています。上司が嫌いだから会社を辞めても、次の会社に同じような人がいたりというのは、良くある話です。上司を嫌いな理由は、上司ではなく自分の内側にあります。そして、その人を嫌いだと思わなくなった時、レッスンは修了し、次の新たなレッスンへとレベルを上げます。
出会いは、本当に必然だとしか言いようがありません。本当に上手くできています。似たような人が繰り返し人生に現れるなら、そこに気づくべき何かが在るということです。見ないフリ、気付かないフリをして、いつまでも逃げれば逃げるほど、事は大きくなっていきます;;;
何度も繰り返し起こる出来事も、そこに何か大きな学びが隠されています。『私って、いつもこう』と思うそこにこそ、今生でのテーマがあります。ついてない。運が悪かった。そう思えてしまういつものパターンには、とても感動的な成長の種があるのです。この種に気づき、今生で成長させるものは、一体何でしょう?それは強さかもしれませんし、優しさかもしれません。或いはもっと別のことかもしれません。
過去世を含めて今生を眺めてみると、私たちは確かに、人生から受け取れるものがあるのです。しかも、痛みを伴う経験程、それは大きいのです。
私は、母との関係性をあやふやにしたまま、これ以上は進めないのだと、感じていました。過去世を思い出すことで、この関係性に気づきをもたらしたいと思いました。
意を決し、過去を視てみると・・・
過去世を知ると、今世出の生き方が視えてくる
私と母との魂の学びは、ネパールでの人生と深く関わっていました。
私は恵まれた家庭に生まれ、裕福でとても幸せに暮らしていました。若くして結婚し、子どもも生まれ、幸せな家庭生活を送っていました。嫁いだ先もまた、裕福で恵まれていたのです。このまま、人生が何事もなく穏やかだったならよかったのに・・・。
人生の後半、成長した私の娘はこともあろうに、カーストの低い、経済的に全く恵まれていない男性と恋に落ちたのです。私は、絶望を感じました。理解不能でした。
『どうしてわざわざそんな男を???』『娘の嫁ぎ先での苦労は目に見えているのに』『料理も掃除も、娘がやるの?』『使用人のように??』『できるの?』『一体どうなってるの!』『親戚には何て言えば??』『家から低い身分へ出したなんて、面目がないじゃない!』
私は、その結婚には大反対でした。安泰性を求めていた私は到底気に入らず、とても酷いことを相手の男性にしました。精神的にも体力的にも傷つくようなことを・・・。権力や経済力を使い、その男性の両親にさえ酷いことをしました。
そして、私自身の性格も、娘の結婚によって大きく変わりました。お手伝いの人にも八つ当たりし、尽くしてくれる人に対して、悪い影響を与えました・・・。
私のこうした間違った行動で、娘の生活がダメになっていきました・・・。
人生に起こっていることは、何を示唆しているのか?
過去世のテーマは、愛に階級などないことを身をもって学ぶはずでした。娘が、それを教えてくれるはずだったのに。娘の結婚を、誰が反対しても、自分だけは味方でいたかったはずなのに・・・。できなかったのです。そして、みすみす不幸な人生を歩んでほしくないという親のエゴで、結局は、関わる人全ての人生を不幸にしてしまいました。
一番望まなかった、愛の表現。結果的に愛は、人を鬼にも変えてしまうことを学んだ、人生となりました。あなたのために・・・という恩着せがましい愛の裏には、弱さや未熟さがあったことを、私は認めなくてはいけません。
自分にも非があることを認めるのは、なんて難しいのでしょう。あぁ、いつまでも人のせいにして、このままぬるま湯につかっていたい。
今生での母の言動は、私の過去世に行っていたこと、そのものでした。悔い改めるため、今の人生を設定して生まれてきました。母は、それに協力してくれていたのです。なんて深く、大きな愛だろう。憎まれ役を買って出てくれたのです。愛がなければ、できません。。。思考には、決して視えることのない愛を、そこに視ることができます。。。
過去世での記憶を思い出したことにより、私は強い罪悪感を覚えました。何の罪もない愛する人たちを、どうしてあれほど酷い目にあわせてしまったのか・・・。胸が痛み、申し訳なくて涙が止まりませんでした。自分を責め、もう真っ当には生けないとさえ思えました。
・・・やがて、過去世を踏まえて今生の意味を捉えると、泣いている場合ではないことに気づけるのです。。。人生は、恩恵に満ち溢れている。感謝ばかりが、今度は溢れだすのです。。。
過去世での行いを思いだすことによって、相手を許し、自分自身も許せす。【許す】というテーマを持つ、私の人生。それは、母の協力の元、既に行われていたのです。私には、この人生で果たしたいことがあるのです。
母を許すこと。それは自分の過去世での行いを許すことにも繋がるという。。。。人生は、驚くほど、よくできています。カルマは決して罰ではなく、自分の行いの全てを良くも悪くも、その両方を経験する必要があって自分で決めています。視野を広げると、自分に起こっていることが何を示唆しているかが分かるというお話しでした。
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