思考から自分の【才能】を見つけようとすると、完璧なもの、絶対的なものを探そうとします。勿論、私たち人間は完璧ではないので、そんなものは見当たらないという結論に至ります;;;自分の才能や強みを、自分自身で制限してしまうのです。
では、思考ではなく、ハートから探してみるとどんなことが起こるでしょうか。ハートは、自分の些細な楽しさや喜びに、価値を置くことができます。自分だけの大切な感覚を、最上級の敬意で称えることができるのです。それがどんなに素晴らしく、価値の在ることなのかを、ハートは認めてくれるのです。
種に水をやり、太陽の光を注ぐことで、芽が出て花がさ咲き、やがては大木となります。私たちの才能も同じように例えることができます。才能は、誰にも在ります。種が、誰の内にもあるのです。花を咲かせない種に『こんなもの』と言って価値を与えなければ、才能は枯れてしまいます。私たちは、種が、必ず花咲くことを知っているなら、大切に育て、環境を整えようとするのではないでしょうか。ハートは、まさにそれを行ってくれるのです。
自分自身の種を、当然のように愛し、慈しみ、必ず咲くことを確信していて、全ての種に価値を見出してくれます。自分だけの才能となっていくのは、まさにここがポイントなのです。
自分が感じるどんな些細な本質も、それを表現しようとするとき、私たちは才能を使うのです。その発想、その言動には、才能の片鱗があるのです。ばかばかしいと思えるほど、小さなものかもしれません。でも、ハートに育てられ、その価値を認める度に、才能がどんどん育っていくのです。
子どもが『こんなに上手に描けた』と見せる絵に、『その程度なら誰でも描けるし全然上手じゃない』と言ってしまえば、その子どもは、次も描こうと思うでしょうか?描くのをやめてしまおうと思うのではないでしょうか。立派な大人である、私たちも同じです。自分で自分の才能を否定してしまえば、輝くチャンスを逃してしまうことになるのです。『自分にはこの才能がある』と認め、それがどんなに素晴らしいことなのかを自分で実感するとき、才能は育ち、やがては大輪の花を咲かせることができるのです。
自分の才能を認めましょう!そこから育てていけばいいだけです。才能を無能にしてしまうのも、開花させるのも、自分次第です。
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