私たちがいるこの世界は【結果】に過ぎないと、マスターたちの教えは共通しています。
石を投げれば、【自然の法則】によって自分の頭上に落ちてきます。どうして石を投げたのでしょうか?これが【原因】となり、落ちてきた石に当たって、頭が痛むのが【結果】です。
私たちの人生に、【何か】が存在しているのは、その裏に原因があるからです。逆に言えば、原因がなければ存在できないのです。高い次元に『原因の世界』があり、いろんな法則、原型、概念があります。それらが形となってこの世界に現れます。そうです。この世界は、結果の世界なのです。
ところが、この『結果の世界』だけでは、『真理の一部しか理解できない』と、ダスカロスは述べています。『原因の世界の探究が必要』となり、それは、『神聖なる計画を探求する』ことだと。
ダスカロスに学ぶ【法則】を探求!
あらゆる法則のもの基、世界は動いています。
多くの人が知っている【重力の法則】や【引力の法則】があります。【ハーモニーとバランスの法則】のがあり、【原因と結果(カルマ)の法則】があります。【実現性の循環】があり、【蓋然性(ガイゼンセイ:確率や可能性と似た意味)の法則】などがあります。
先ほどの『石を投げれば自分に落ちてくる』現象は、ハーモニーとバランスの法則や引力の法則、そしてカルマの法則が働いた結果に過ぎないということです。
カルマの法則とは?
カルマの法則とは、なんとなく意味することが分かりますね。善い行いも、そうではないことも、全ては自分に還ってくるという法則です。
過去世で人をたくさん殺してしまった人は、今生では殺されるのでしょうか?そうした可能性もあるかもしれませんが、【魂の成長】という視点で見れば、今生ではたくさんの人を救う側になるかもしれません。
医療関係者となって人を救っていく。弁護士や検察官となって、たくさんの人を助けるかもしれません。或いは、教師や牧師という立場となり多くの人の人生を指し示すのかもしれません。カルマの法則は、確かに自分の行いが全て自分に返ってくることですが、単純なものではなくいろんな法則と共に、カルマの法則があるのです。これほど複雑で難解なカルマの法則は、改めて詳しく掘り下げます。
実現性の循環の法則とは?
人間の精子の中には、私たちの形態が全て入っているといいます。
赤ちゃんの形態、成人の形態、歳をとってからの形態・・・これらを【実現性の循環の法則】というのだそうです。1つのサイクルが終わると、次の新しいサイクルが始まります。それは、1つの学びが終わると、次の新しい学びが始まるという人生についても言えることです。また、魂としての学び、この人生が終わり、次の新しい人生での学びが始まるという、大きな視野としても同様です。1つのサイクルを合わせると螺旋型の大きな輪ができます。これが、【実現性の循環の法則】です。
【原因と結果の法則(カルマの法則)】と【実現性の法則】が重なり合って、【蓋然性】の法則が現れます。私たちのマインドの使い方によって、この法則が動き、目的に地に早く着くのか、遅いのかが決まります。
蓋然性の法則とは?
あまり聞きなれない『蓋然性』という言葉ですが、極端に言ってしまえば確率であったり、可能性という意味に近いかと思います。
循環の法則からいうと、柿の種を埋めたら、やがて芽が出て育って木になり、何年か後には柿の実をつけ、落ちた実から出た種が育ち・・・というのを、延々と繰り返しますね。循環しているわけです。柿の種には桃になるデータはありませんし、みかんもつけません。柿は、柿になることが宿命なのです。私たちは人間は、人でしかないし、のんびり昼寝をしたていたい猫にも、大自然の中を散歩をしていたい犬になることも、決してありません。生まれて『どうなるか?』ということが予め決まっている【実現性の循環の法則】があります。
ところが・・・幼い時に病気になってしまい、この次元での人生が終わることになってしまった魂は、サイキカル界(感情の世界)で成長を続けるのだとダスカロスは説明しています。
木が、誰かによって伐採されてしまい、枯れてしまうこともあります。或いは、違った環境に運ばれ、種から芽をだすことがない場合もあります。こうした、様々な条件によって【実現性の循環】が途中で中断されてしまうことをダスカロスは【蓋然性の法則】と呼んでいます。
あらゆる法則の基で、知らず知らずのうちに作用し、私たちの人生が成り立っているのですね。
良い人生を歩みたい!と願うのなら、せめて今生での行いは良きものとしていきたいものです。これは、自分の意思で、今すぐにでも選択できることですね。徳を積むという言葉がありますが、徳を積んで損はありません。巡り巡って、自分に返ってくることが分かっているのですから、人にも自分にも、モノや動物、植物、全てに愛を持って接しましょう♪
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