かなり前の話し。定期的に行っていた勉強会がある。同じ学びをしている友人たちと、日中に集まっては気づきをシェアする会だった。
いつものように、ランチの時、午前中の体験をシェアをしてみた。こんなことを感じたと。こういう瞑想(ある、特定の瞑想法)は、自分には合わないことを確認していた私は、それも踏まえて伝えた。
友人たちは、気分を害したように感じた。「みんなそうだ!」「誰だって他の人のエネルギーを感じ取っている。」「それを●●●にするの!」「そんなんじゃ半分しかできてないね!」と、感情をぶつけられた。悲しみと怒りを覚えたまま、私は黙々と、ランチを続けた。
夜、その言葉がリフレインして、眠れなかった。どうして、瞑想のシェアをジャッジされるのか?何故、そこまで言われる筋合いがあっただろうか?何故、立ち上がってその場を後にしなかったのか?自分があまりにも可愛そうだった。せめて、自分だけでも、自分のためにその場から離れた方が良かったのではなかったか・・・。
怒涛のような感情が過ぎさり、少し落ち着くと、何故、あの言葉を人から言わせたのだろう?自分の何が、あの出来事を起こさせたのだろう?何に、リアクションしたんだろう?何に気づくべきだろう?どんなことを学ぶ出来事だったんだろう?自分の内に意識を合わせていった。
自分の内の、何が、その出来事を作ったのかは、分からなかった。ただ、今後、私は多くの人に向けて精神世界のことを伝えていくことは決まっている。その時、自分の意図したこととは別のことを言う人も、きっと現れるだろう。その時、私はその人を心から受容できる人間になっていたい。そう思った。
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