自分と同じ【才能】を持つ人に、取って代わられるのではないかと、恐怖を感じることはないでしょうか。或いは、自分より相手の方が能力があるように思えて気が気ではなかったり、才能なんてなかったのだと自分をつまらない人間だと感じてしまうこともあるかもしれません。逆に、自分の方が才能があるのにチャンスがないのはおかしいと思って、自分をアピールすることですり減ってしまうとか。また相手によっては、自分の能力を閉じ込めて、自分のほうが下だと謙ってしまうことも考えられます。
似た才能を持っている人がいると、とても気になるものです。
自分だけの【才能】とはいえ、同じ才能や似たような才能を持つ人を見かけるたび、こうした気持ちを行ったり来たりすることがあります。私たちは人間なので、1人の力などたかが知れています。だからこそ、【才能】は分化され、協力できるように創られているのかも知れません。
でも、意識の表層にいるとき、人に嫉妬を感じたり、脅威を感じたり、不要な感情に飲みこまれてしまいがちです。外側から見まわす景色は非常に狭く、自分を制限していることにさえ、気づくことが難しい状態です。ここに必要なのは、自分の感情に気づくということ。嫉妬や苛立ち、焦りなどの感情に気づいたとき、私たちは外側にいるのだとやっと自分の立っている場所が分かるのです。
自分が今どこにいるのかが分かれば、内側に入り、くつろぐことができます。
ハートの中から才能を視ると、自分が人をどう助けているのかが良く分かります。うぬぼれではなく、ひいき目でもなく、ありのままを視ているだけで、自分への信頼や誇りを感じられます。また、自分も人の才能によって助けられていることに気づき、その存在に感謝が溢れます。同じような才能を持つ人が、自分の競争相手ではなく、自分の協力者であって、よき理解者であることにも気づくことができます。
こうした気づきは、外側にいて独りぼっちだと勝手に感じ、意固地になっていた自分を、自然に励まし、勇気づけてくれます。人それぞれの表現の仕方があって、自分自身の人生に、どれほど貢献してくれているのかが体感的に理解できるのです。思考には到底分からないことを、ハートは感覚とヴィジョンでいっぺんに気づかせてくれます。
なので、脳が納得するような説明がとてもし難いのですが、内側に入り本質や中心に繋がると、大きな目的の重要な役割を担っている自分に気づけるのです。同じ才能を持つ存在に、一喜一憂していた自分の健気さにも気づきながら、その人たちと一緒にどんな役割があるのかが分かりはじめるという感じです。
また、自分のエネルギーが外に流れ出て、自分をどう豊かにし、人を豊かにしていくのか?同時に、似たような才能を持つ人が、自分にどんな好影響を与えてくれたのか?そんなことが、ありありと実感できるのです。それは、自分自身を誇らしく感じ、他の人たちを心から敬え、人生が豊かに輝きます。外側では、あれほど疎ましく感じていた人が、自分に与えてくれたものの価値を知るほどに、感謝や尊敬しかなくなっていくのです。
こうした経験は、瞑想するほどに深くなり、外側も急速に変わりはじめます。チャンスを求めていた時には、まったく何も動かなかったものが、あっけないほど簡単に動き始めるのを感じます。協力者に恵まれたり、理解者が現れたりと、内側の豊かさがそのまま外へと現れていきます。自分の本質に気づき、才能を活かし、分かち合うことは、内側と外側の両方を豊かにする生き方を可能にします。
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