私たちは、魂がより成長するようにと、避けては通れないような人生のイベントをしっかり計画して、生まれてきました。
痛みや苦しみの多くは、私たちの過去世も含んだ長い歴史の中で、学ぶ必要のあるものが残されていることにあります。それは、人生の課題とも言い換えることができます。要するに、人生の宿題のようなものです。まだ終わっていない宿題があればあるほど、私たちの波動の密度は濃くなります。怒り、恐れ、憎しみなどの感情、或いは『どうせ自分なんて』と自分を低く見積もってしまう思いなどを、何世紀もの間持ち越していたら・・・?自分の意識に、どれほどの影響が及ぶのかくらいは想像できます。
苦しみや痛みなど、人間なら誰でも感じたくないものです。だからと言って、自分が計画してきた【困難】を避けたり無かったことにするのは、人生の宿題をやらずにいるということです。自分の内側ではやる必要があることを知っていながら、嫌だからしないという自分もいるわけです。そこに、ギャップがあるのが分かるでしょうか?そのギャップが、余計に自分を苦しく、痛みを感じさせてしまうのです。
こうした状況に耐えられなくなった時、私たちがやってしまいがちなのが『誰かのせいにする』こと。自分が宿題をやっていないことは、自分で分かっているので、『人がやっていない』ように投影してしまうのです。
人生の宿題は、自分で経験することでしか終わらすことができません。魂が、自分にはこの学びが必要だと思うからこそ、人生のプロセスに盛り込んだものなのです。
私たちは、人生の宿題をいつやるのか、その時期を自分で決めています。年齢やタイミングなど、インパクトが最も大きく、避けられない工夫を凝らしました。
人生に苦しみや痛みを感じる時『嫌なことが起きた』『最悪だ』で終わらせず、自分のハートを思い出し、内なる智恵に耳を澄ませることが大切です。出来事を観察し、私たちは経験しながら学んでいくのです。宿題が終わるころ、私たちの波動は更に高くなっていることでしょう。苦しみや痛みの本質は、魂の目的に抵抗していることにあります。無駄な抵抗をやめ、学びを完了させてしまうことが、そこから抜ける最良の方法でもあるのです。
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