その方と目があった瞬間、その奥に宿す深い悲しみと、葛藤を垣間見ました。
それは知人からのオファーで開催されることとなった、瞑想会での出来事でした。10人ほどの集まりで、講師の私以外は、みなさんお知り合い同士です。和気あいあいとした雰囲気の中で、瞑想体験で得た気づきをお一人お一人、シェアしていただいていたのです。
その方の番になったとき、私は一体誰を見ていて、誰の話を聞いているのか、分からなくなりました。その方ご自身も全く気付いていない漆黒の闇のような悲しみに、私は気づいてしまったのです。
今生のその方と、過去世でのその方が重ね合わさり、一瞬で悲しみを伝達されました。
過去の物語を理解すると、今生での生き辛さに納得がいきます。けれど、人前でその話をしてもいいものかどうか・・・。後で個人的にお話をしましょうとお伝えし、瞑想会を続けました。
やがて瞑想会が終わり、ランチをご用意してくださった知人とご参加くださった方々と、親睦を深められてとても素晴らしい会となりました。このような機会を用意してくださった知人に、心から感謝を申し上げます。
そんなひとときを過ごし、その方と先ほどの話の続きをすることにし、皆さんとは少し離れた場所に私たちは座りました。
彼女の現状など、私は知る由もありません。2時間ほど前に初めてお会いし、二言三言、言葉を交わした程度です。しかしながら、私がその時に視た光景、その方の過去世での物語をかいつまんでお話しを致しました。もちろん、ご本人に過去世の記憶はありません。
その方は、私が話す物語に、涙を流しながら何度も、何度も頷きました。そして、『今の人生が、そのまま語られている』とおっしゃったのです。時代背景こそ異なりますが、大元のストーリーは変わらないというのです。
これは、この方だけにみられる現象ではなく、多くの人が、過去世のまま人生を生きているようなものだとうことです。
思考、感じ方、捉え方、それは咄嗟に起こります。何かの出来事に対して、反射的に起こるものには信念や思い込みがあります。ありのままに見ることができず、被害者であったり、弱者であったり、様々な眼鏡をかけて世の中を見渡していることに気づきません。置かれている環境や人間関係から、無意識に被害者であれば被害者たる者として、弱者であれば弱者たる者として、状況を受け取っていくのです。
魂の長い旅によって、たった1つの出来事から、様々な受け取り方が生まれるのです。
何かが起こったとして、何も思わない人もいれば、とても気分を害し不愉快になる人もいます。得意げになって面白がる人もいれば、それをチャンスと捉える人もいます。たった1つの出来事なのに、かけている眼鏡によって、受け取り方は様々なのです。
物事が起こった環境や状態や相手の言動などに、どうして自分はそう思うのか?そこに立ち止まる必要があります。怒りや悲しみを感じるのかに【気づき】を開くと、これまでの選択肢ではない、新たな選択肢を増やすことができるのです。すると、これまでのループを繰り返すことなく、新たな旅を始めることができるのです。
感情は、魂からのメッセージです。ポジティブな感情は、自分らしく生きていることの証。その逆は?自分らしくないとき、感情を使って私たちにそれを知らせてくれます。怒りや、悲しみ、辛さ、しんどさ、憎悪、嫉妬・・・そのエネルギーに気づいたとき、どんな信念、思い込みを持っているかを特定することができます。手放し、新たな選択肢に気づけるのです。
ところが、私たちは感情にのまれ、感情のまま出来事に翻弄されてしまいます。そんなときこそ、立ち止まって【気づく】のです。
私は、話し終えると、その方をハートに繋げました。私が癒すのではなく、ご自身の愛によって心の傷を癒してもらうためです。浄化が起こるときは、自分自身の力に目覚めるチャンスでもあるのです。悲しみの涙から、喜びの涙となって、自分自身を赦したのです。
後日、知人を介してメッセージを頂きました。これまでとは別人のように、捉え方が変わったと。すると、家族の反応も変わってきたようだと。急変することはないが、穏やかに変わってきたことを確信していると。ハートを感じることが日課になったと。
自分の力に目覚めると、自分がとても頼もしく、人生が信頼できるものとなります。この方のように。
エンパワーメント 瞑想クラスでは、自分の力に目覚めていく講義とレッスンを行っております。才能に生きよう!本質からよう!
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