経験は、私たちの無意識の中に【記録】として残されています。
過去に経験した同じ環境、同じ刺激などが五感に与えられると、前頭葉と関係なく働き始めます。アレルギー反応や心身症といった、心身の病的な反応だけではありません。一度乗れるようになった自転車は、何十年ぶりだとしても乗れるものです。遥か昔に自分をとても傷つけた人を、顕在的には忘れてしまっていても、似た人を見ると鳥肌が立ったり、嫌悪感を感じたりすることもあります。
私たちが忘れ去ってしまったことでさえ、しっかり覚えている何かがあるのです。それらは善悪関係なく、私たちの身体にこびりつき、影響を及ぼします。特に健康に気を使うわけでもないのに、病気知らずの人がいます。周りはインフルエンザにかかっているのに、何事もないように元気いっぱいに過ごせる人もいます。逆に、神経質なほど健康に気を使いながら、いつもどこか具合の悪い方もいます。この違いを生み出すのは、自分の身体にどんなエネルギーを宿しているかの違いではないかと私は思っています。
身体にこびりついた『業を取る』先生がいらっしゃるのですが、その方も、同じようなお考えでした。知らず知らずのうちに、私たちは色んなものを身体に染み込ませています。それはもちろん、食べ物もそうなのですが、考え方や感じ方、独特な捉え方なども身体に染み込み、蓄積されていくのです。善いエネルギーも、そうではないものも・・・。
そして、自分の痛みに気づいたとき、この痛みから逃れるために人はどうするでしょう?ここが肝心です。人に治してもらうという考え方を当たり前のように持つ人。自分でなんとかするために、専門家にサポートしてもらおうと考える人。この差が、『人生から完全に痛みを消す』のか、或いは、『痛みと戦い続ける人生』を送るのかといった大きな違いとなって現れてくるのです。
エドガー・ケイシーのリーディングは、今から何十年も前に記録されたものでありながら、私の目には最先端に写ります。
あらゆる治療法にはみな良いところがあり、それぞれの位置を占めている。しかし「治る」という作用は”内部”からくるのだ。治療を受ける一人ひとりの意識では、あれこれの特定の方法があったと考えるけれども実は、方法そのものによって治るのではない。
ー969-1ー
全ての治す力は内部の生命エネルギーの働きからくる。私たちが心や身体の不調を治したければ、自分の態度を変えてみて、生命力を破壊的ではなく、建設的に働かせなさい。憎しみ、悪意、ねたみは人々の心や魂や身体に毒素を作りだすだけである。
ー3312-1ー
単なる病勢の緩和ではなく、ほんとうに病が治ったのなら、その種類が霊的、磁力的、機械的、対症的、電気的、温熱的のうちのどれに入ろうとも、真に肉体的に良好な影響をもたらす限り、そこには宇宙的な生命エネルギーの力が働いている。魂がどういう世界や段階に存在していようとも、この法則は同じである。したがって病気を治す作用は、それがどんな性質のものであっても”一つの源”からでてくるのである。
ー336-1ー
どこかに痛みを感じ、それを治したい!と思い、誰かに治されようする人は、全てを委ねて『治してもらいたい』と願う気持ちはとても良く分かります。ですが、自分自身でも気力を奮い立たせて、治ることを切望し、生命エネルギーの動きを信じ続ける必要はあると、私も様々なクライアントのケースから学びました。
痛みを治す方法は、この世界にはたくさんあります。でも、身体をこわしたのも本人なら、治すのも本人しかいないのです。心と身体、人生の痛みを抱える方の効果のほどを目の当たりにするたび、本人がどれほど治そうという意識を持っているかどうかにかかっていると思えてなりません。自分でどうにかできる!と信じている方と、人にコントロールされる気満々の方とでは、結果が全く違ってくるのです。
私たちは、自分にどんな力が在るかなんて、教わったことはありません。誰が一番勉強ができて、自分はどのくらいできないかを思い知ることはあっても、自分に何が在るのかを見つけ出す方法を教えてくれる教育は、あるでしょうか。
エンパワーメントクラスでは、自分が何者であるかを思いだし、自分が持つ本質、才能、素晴らしさを開き、人生に根付かせていく方法を受け取ることができます。それがどういうことかを知識として理解した上で、実際に経験としてエネルギーを感じ、癒していきます。自分が抱える【問題】を変容することは、自分でも可能なのだということを、実践していきます。
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