私って、へこたれないんだなあ。小さなころからずっと、戦いを勝手に挑んでいたんだなあ。そして今、同じことを繰り返しているんだなあ。
そんなことに気づいたことがあります。自分に価値を感じていない時と、自分に価値をおくとき、どんな違いがあるかを瞑想してみたのですが・・・。
やっぱり!私たちが自分に価値を感じられない時、そこには、小さな自分自身を発見するようです。
幼い思いは、いつまででも繰り返す!
私は、今でこそ瞑想をメインにクライアント様に提供をしていますが、これまで、ヒーリングやリーディングなど、いろんな学びをしてきました。学ぶ過程で興味を持つのは、いつもスピリチュアルで名を馳せていらっしゃる方がほとんどなのですが、面白いことに気づきました(笑)
本当にスゴイな!この人!!!という人には、ただただ驚きと尊敬の念で胸がいっぱいになってしまいます。会うだけでも学ぶことが多く、感じられる全てを吸収しようと努力を試みるのですが、私の必死さなんてお見通しなのでしょう。ただ静かに慈愛が注がれて、ちっぽけな私を包み込んでくださいます。そんなに頑張らなくて、そのままで大丈夫と、今のままの私を受容してくださるのです・・・。
それはもう、どれだけ深いのだろうと思うほどの愛に、ただただ、泣きたくなる私です。小さくていいんだと、思わず現状をあっさり受け入れ、更には小ささに誇らしくもなってしまうという、不思議な影響を放つのです。本物は。
また一方で、有名でありながらも、お会いしてみると一切、そんな気持ちにならない方もいらっしゃいます。面白いのは、同じ『有名』な人であっても、全く違った思いを持つものだなという、自分自身の気持ちです。大物相手に、こともあろうに、私は嫉妬を感じてしまうのです。いくらなんでも、身の程を知らなすぎですね・・・^^;
この人は、どうしてこんなに人気があるんだろう?私だってその程度ならできるはず。そんな思いが込み上げるや否や、今度は自分と比べてしまうのです。不甲斐なさを感じる自分に落胆し、ただただ無性に焦ります。不十分な自分にじりじりして、悔しくて、情けなくて、悲しくなります。
余談ですが、この違いってなんだろう?と思ったのですが、多分、波動なのだろうなと現時点では思っています。嫉妬を感じてしまう方の波動は、おそらく私と似た波動なのではないかと、考察しています。
自分に価値を与えるということ
私は、こうして人と比べて勝手に焦りを感じる傾向があるということを自分の内に発見しました。そんな時はいつでも、自分に価値を与えてないときです。価値どころか、自分は劣っていると感じてしまうのです。このままではいけないと、自分に不十分さを感じてしまうわけです。
その時、ふと・・・、小さい頃の記憶が蘇りました。
私より、5歳上の兄。幼ければ幼いほど、1歳の年の差は大きいものです。5歳違うとなったらもう、天と地ほどの差です。5つ上の兄がやっていることを、自分は何もできないと、常に思い知るのです。いつも、出来ない自分、不十分な自分を感じていました。
兄と同じことをしたがる私は、そもそも、同じ土俵にのること自体が違うのです。それでも同じ土俵にのりたくて、兄を相手に、いつも挑戦していた気がします。
私にも出来るの。私も上手にやれるから。だから私も見て。
そんな思いで私はいつも、兄に追いつきたかった。でも本当は、兄よりも勝ることを望んでいました。兄より出来る私になって、母に認められたかったし、私を見て欲しかったのです。母に。
なんてことでしょう・・・!
私はそれを、今も繰り返しているのです。あれからずっと、同じことやっていたのです。到底かなわない相手(兄=大物)に嫉妬して、なんとか勝たなければいけないと、勝手に焦りを生み出していました。この人より優れなければ、私には価値がないと・・・。
全てが何かに導かれている
私はハートの中で、そんな自分に価値を与えることをしてみました。今のままの自分でも、何者にもならなくても、どんな自分でも、『私は素晴らしい』ことを思い出すために・・・。
すると、ハートは、私をただただ受け入れてくれます。『自信を持とう』などと思わなくても、既にそこに必要な【全てが在る】状況になっていて、やれること、伝えたいこと、シェアしたいことが、自然に浮かんできます。
それは、私が勝手に嫉妬を感じている人にはできないこと。人がやっていることに対して落ち込むのではなく、自分の中にあるものに気づいていれば、それでいいんだって思えました。
価値を与えないと、ぎゅっとして狭い感じがするのですが、自分に価値を与えると、広げようと思って広がるのではなく、自然に広がっていく感じがします。自然に、心が穏やかに、明るくなっていくのです。
自分に価値を与えると、ネガティブに思っていたことも、全て素晴らしいことだとしか思えなくなるのです。意味があることなんだなって、気づくことができます。『こんな自分なんて・・・』という思いさえも、そこに何らかの受け取るものがあったのです。自分自身を嘆くときさえ、そこに何かがあるのです。
すべてが自分。
それらがあるからこそ、私は、痛みに共感することができる。あるからこその自分。ああ・・・私のネガティブに、まさか感謝が起こるなんて。
人生に起こる全てのこと、記憶にも残っていない些細なことであっても、全てが何かに導かれている。よく、『肥やし』になるというけど、本当に、今の自分を彩るのは、これまでの全ての経験。
本当は、受け取ってないものなんて、ないのかもしれません。ただ気づいてないだけで、私たちはいろんなものを受け取っているのかもしれませんね。気付いてないだけだから、気付けたらいろんなものを受け取るんだろうなって思う。少し気づけただけで、それは物凄く自分への滋養になるわけですし。それを気づけないって、もったいないなと思うのです。
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