第2チャクラにフォーカスし、エネルギーを流し癒していたときのこと・・・
チャクラのオレンジ色が視えたのかもしれません。大きな、大きな、夕日をそこに視たのです。私はそのまま、夕日を見続けました。夕日・・・。夕焼け小焼けのオルゴールが鳴っています。・・・あれは、歯が痛くてお医者さんに行った帰り、まだ痛いと泣く私に母が買ってくれたもの。ピンク色の、小さな箱から聞こえる音に魅了され、その場から動けなくなった私。そんな私に、母は笑顔で買い与えてくれました。嬉しくて、嬉しくて、何度も開いては音色を聞き、ネジを巻き、閉じて、開いて、また聞いて・・・全然、飽きなかったオルゴール。
実家を出て、一人暮らしをするときにも、そのオルゴールは一緒でした。でも、それから十数年後、新たな地へ引っ越すとき、オルゴールは一緒ではありませんでした。母に対する痛みが、怒りになっていたから。こんなものは、もう必要ないと、あえて置いてきた、いえ、処分したのです。
第2チャクラのエネルギーは、そんな思い出を蘇らせながら、気づきを促してくれました。母は、私がとても好きで、大好きで、いつまででも手元に置いておきたかっただけだと。自分の手からどんどん離れていく娘の、成長が怖かった。孤独になることの恐怖。「子どもため」という盾がなくなることの恐怖。自分として確立できないことを、実感したくはなかった。だからより一層、縛りたくなる。自分を必要とさせなければ・・・でも、娘の、自分を見る眼があまりにも冷たくて悲しい。何かを言えば言い争う毎日。自分の声は娘に届かなくなってしまった寂しさ。。。そんな、母への理解がやってきました。私も、母との日々は辛かったけど、彼女はどんな思いで過ごしていたかに気づかされて、感情のまま、責め続けることが正しいことだとはもう、思わなくなったのです。
気づきは広がります。私は、嫌味と文句ばかり言う母が苦手でした。というより、嫌いでした。でも、その嫌味と文句は、確かに恐怖から自分を守るための言動かもしれませんが、そこに私への愛は無かったわけでは全くありません。私を思う母心。たくさんの愛が注がれていたことを、何十年もの時を経て、今、実感するように、ただ気づいたのです。たくさん愛され、私も本当には嫌いになれていなかったことに気づく。母への愛と感謝が込み上げてきて、子どものように、大声で泣きたくなりました。そしてごく自然に、慈しみのようなエネルギーに満たされました。そのエネルギーにただ委ねていると、子供時代と、同じ気持ちで母を慕う自分がいました。
深い瞑想から戻り、目を開けても、その感覚が去っていきません。優しさと、思いやりに満ちたエネルギーに癒されて、どこか切ない。この切なさは、あのオルゴールがもう、手元にないことの寂しさ。どうして捨ててしまったの。母を捨ててしまったかのような気持ちになりました。そんな私を包み込むように、当時のあの時の、自分の精一杯を、心から労わる何者かが愛を注いでくるのです。愛に漂っていると、罪悪感の黒い染みが薄れていくのを感じました。母への痛みと共に。。。
この経験から、何年くらい経ったでしょう。5年くらいになるのでしょうか。今でも、この感覚が私の中で強烈に蘇ります。酷い言葉で私を傷つけてきた母への感情も、だいぶ和らいできました。私にとって【赦す】という学びは、なんて難しいのでしょう。怒りの中に身をうずめて、感情のままぶつかっていた私は、その都度、疲労困憊していました。それでも、自分のレベルに合わせて、何度も、何度も【赦す】チャンスを与えられるのです^^;
思考で赦そうなんて、絶対に無理でした。でも、ハートからそれを行うと、赦す以上に、私自身が、とても癒されたのです。赦そう、赦さねば!と思うのではなく、ただ相手への理解が深まったことによって、愛に気づき、結果として【赦せた】わけです。つまりは、私には、癒される必要のあるエネルギーがあったということです。人生に起こる全ての事は、自分が創っています。例え不可抗力なことだとしても、魂がそれを望み、自分で出来事を起こさせるのです。これが、人生のレッスンです。
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