2011年。
私は、生を楽しむために、今度はコミュニティの中に、生まれてみました。
地震で、多くの悲しみをもたらしました。
命は、かけがえのないものだと、痛感します。
表面だけでは分からない、出来事の本質。
私たちには、選択肢がいつもあります。
あんまりだ・・・で、終わらせるのか
命という奇跡から、何を学び、どう落とし込んでいくのか
或いは、全く別の何か・・・。
見ないふりもあるかもしれません。
どこにも、正解はないと思っています。
あまりにも多くの命が、あっけなく過ぎ去ってしまって。
「為す術がない」という、人間の無力さ。
悲しみと絶望が押し寄せるとは、こんなにも痛みが伴うものなのです。
コミュニティに生を受け、人間として感じる痛みの耐えがたさを目の当たりにしました。
なんという痛み。何も出来ないなら、なぜ、生きているのでしょう。
これほどの悔しさ、なんたる無念さ。
嘆き、悲しむとは、こんなにもむごいものの上に成り立っていたとは・・・。
2016年。
暴走族のお兄さんが、避難所で親切にされて、世間は敵ではなかったことを知り、暴走族を解散してボランティアを始めた事がニュースに出ていた。
誰もが、内側の衝動を表現したがっている。
それが彼の場合は、【暴走】だった。
愛を受け取る事で、愛を与える事ができる。
愛の経験がなければ、愛はわからない。
創造は、こうしてまた、新たに始まっていく。
人間の目から見たら、かすかな燈火かもしれない。
それでも、確実に愛が燈されていく。
消えることのない燈火。
小さく輝く光。
そう、永遠に消えることのない【光】というものがある。
失われたとばかり思っていた多くの命もまた、別の世界で輝いている・・・。
決して消えることのない輝き。
その光線が、今を生きる私たちに届いている
この記事へのコメントはありません。