「頑張る!」という、とても素晴らしいこの言葉の裏には、自分ではない何者かになろうとする、落とし穴があります。この落とし穴、落ちていることに自分で気づきにくいので、非常に厄介です。気づいたときには、もう既に穴に落ちているのですから。
頑張っているはずが、気づくと辺りは真っ暗。穴ですから・・・。慌てて後戻りしようと思うも、どこからこの穴に入ったのか?ここはどこなのさえ、分からない状態。戻っているのか、先に進んでいるのかさえ分からず、暗中模索。とても心細いです。ゴールでも、入り口でもいいから穴からでなければと、必死に光を求めて探し回ります。近づいているのか?遠ざかっているのか?全くわかりません。・・・さあ、どうしましょう。
プロセスを楽しむとは?いったいどうやって?
自分が自分で在ることを認めたとき、自家発電するかのように、自分自身が輝き出します。
その時初めて、穴なんてなかったことに気づくことができます。自分で目をつぶっていただけ。目隠しをしていただけ。いつもと同じ景色の中に立っていることに気づけます。
自分を見失って、誰かになろうとしている時、まさに落とし穴に落ちているということなのです。頑張っているのに、焦りや不満ばかりが募ってくる。不安で仕方ない。そんな感覚が、自分を見失っていることを教えてくれているのです。
私たちは、見たいようにしか、世界を見ることができません。
自分の目に映る世界は今、どんな景色でしょう。はがゆさや、苛立ちを感じて頑張っているなら、それは、自分らしさから離れている状態です。落とし穴で右往左往するのは、とても不安なものです。必要なことは、もっとリラックスして、自分を整えること。すると、【頑張る】ことが、ゴールへの【プロセス】に感じることが出来ます。同じ【頑張る】でも、完全に安心しきって、トライするのがとても楽しく、そこには充実感があります。
今、確実にゴールに向かっている自分を、信じることができるからです。
導かれている実感を伴うと、人は安心して邁進することができるのです。それを感じることが難しい時に、不安を感じるのです。何かを頑張るとき、楽しく頑張ることができれば苦になりません。でも、不安の中で頑張っていくのは、しんどく、疲労を伴い、努力の結果を求めてしまうものです。これでは、気ばかり焦っても仕方ありません。
これまで【プロセスを楽しめ】と言われても、こんなに苦しいことを、一体どうやって楽しめというのだろう?と、さっぱり分かりませんでした。でも、捉え方を変えると、同じ状況でもかなり違うことを発見しました。頑張って楽しいフリをするのではなく、楽しい!と必死に思い込むのでもなく、心から楽しく過ごすには、自分らしさに目覚めていくだけで良かったのです。やりたいことがあるなら、それはやることが決まっていることです。そこ向かう渦中を楽しむには、自分自身に問いながら、導きを確信していく。すると、安心しきって歩むことができます。
その能力は、誰もが最初から持っています。特別な人だけではないのです。自分自身の力に目覚め、自分の道を切り開いていけます!
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