その日、セドナ在住のteacherに直接、質問してみました。『何のために瞑想をするのか?』を。今更と思ったけど、もう、限界だったの。人生が変わっていかないことの不満が、頂点に達していたと思う。瞑想のメリットなんて、私には何一つ感じられなかったから。どう思われても良い。金輪際、会うこともない。こんなことに意味などないのだと、自分に分からせるための意を決した質問。
精一杯のダークな質問に、まったく動じないteacher(笑)静かに、ご自身の体験を話し始めました。
最初は、それをただ黙って聞いていたの。ふてくされてたね、完全に!そしてね、しばらく耳を傾けていると、心から「そうだった・・・」と、思いました。何か大きなものと繋がりたい。その一心で、ここまできたことをすっかり忘れていた。。。原点を思い出したとき、何の涙か分からない、たくさんの涙が頬を伝いました。。。
やめたいのに、何故だか、やめられずにいた瞑想。
teacherからの話は、私の氷を優しく溶かしてくれました。ツンツンしていて、硬くて、冷たい氷のエネルギー。。。それだけで充分でした。瞑想に対する意識に、期待を手放すことができた気がします。ひたすら、邁進していくモチベーションを、取り戻すことができました。ところが・・・
ところが、現実は、もっと、私を祝福してくれたのです。
それからほどなくして、来日したteacheから直接指導を受けられる機会が訪れました。teacheの体験談を聞け、雪解けを起こしていた私は、氷山に雪崩が起こったかの如く、瞑想に対する私の厳しい思考(←氷山)は、ハートの深海にボコボコと崩れ落ち、やがて、きれいさっぱり、跡形もなく溶けていったのです。
こんなにも大切にされている・・・愛されている・・・尊重されている・・・・
感謝が溢れて、何時間も涙が出ました。充分すぎるほどに満たされて、幸せな涙。この体験からしばらくの間、私は何日間にも渡って感謝が溢れ続け、恩恵の有り難さに、ただただ、胸がいっぱいになり泣いていました。感謝の涙。。。今もそのエネルギーは内に在って、繋がるとうるうるしてきます。。。
気づくことは、ほんとうに大切なことだと、クライアントさんに伝えるための2017年だったのかもしれません。ひどく疲弊していた年でした。私は、teacherと過ごす時間の中で、満ち足りた気づきを得て以来、いまだ、自分というものを見失っていません。あの時の気づきが、今も浸透しているというか、更に広がり続けている感じがしています。
混乱したり、不安定になったりという状況は確かにあります。その状況の中、自分らしさを取り戻すことができるようになってきました。混乱や、不安が、何のために人生に起こるのか?今では、そこに感謝さえ感じられるのです。
気づきに気づく。
それは、人生への揺るぎなさのようなものへ、私を導いてくださったかのようです。
今も、内なる何者かが、愛が・・・・静かに私に語り掛けるの。
ほらね、こんなことに気づけるようになってるでしょう。ほらね、こんなところまで来れたでしょう。ほらね、こんなに凄い自分に気づけたでしょう。ほらね。。。これでもか、これでもかってほど、愛がささやいてくる。よく気づいたね、よくここまで来たね、すごいね、がんばったね、えらかったね、見てたよ、いつも一緒にいたよ、って。まるで、赤ちゃんをあやす母のように。その愛に少しでも触れると、とろけてしまう。ひたすら優しくて、温かくて、全て赦されて、存在の全てが認められた感じがして・・・至福。愛が、私の全体に、浸透していく。はじかれてしまうところは、どこもない。くまなく浸透していく愛の恩恵。
私の旅路は、まだまだ、始まったばかり。これから、更に長い道のりがあるのだろう。ほんの少し、目が覚めたくらいだ。まだまだ、ぼーっと生きているんだろう。だけど、このほんの少しが、大きく現実を変えていくことを経験した。更なる目覚めを・・・と思う、今日この頃。
シンクロの中で生きていると、全てが繋がっていることを実感するから、人生に摩擦が起こらなくなりましたとさ。
めでたし。めでたし。
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