国民性を見事に現した面白いジョークがあります。状況設定は『海に飛び込む』です。
『ヒーロー』になるために飛び込むアメリカ人、『ジェントルマン』になるために飛び込むイギリス人、『ルール』だから飛び込むドイツ人、『女性のため』に飛び込むイタリア人・・・では、日本人は?
『みんなが飛び込むから』飛び込む日本人なのですって。思わず笑ってしまいませんか(笑) 沈没しかけた船に乗り合わせた、様々な国の人たちに海に飛び込むよう、船長が説得を行うときの言葉らしいのですが、妙に納得してしまいました。
確かに日本人は、『みんながやっている』ということに対しては、安心して『飛び込む』ことができそうですよね。みんなが横並びでいることに、何故か安心感を感じてしまう日本人。ここに、どんな集合意識があるのでしょう?
日本人の集合意識には【和を以て貴しとなす】=【和をもって尊しとなす】がある?
『みんなと同じじゃなといけない。』『はみ出すのはいけないこと。』
こうした根底には、『和を何よりも大切に』という思想が多かれ少なかれ、流れているように思います。みんながしているのだから、自分もそうしなくては!と、死を目前にした瞬間さえも『みんなが飛び込むから』飛び込む日本人です。。。
日本はきっと、ずっと平和だったのでしょう。島国ですから、争いも他国が経験してきたような侵略などの激しさもなく、勤勉で、義理がたく、余計な争いをしない大和の人たち。一方で、火山や地震、津波などの過酷な自然の猛威には常にさらされてきたことでしょう。その度に手と手を取り合い、みんなで協力することが、どれほど生死を分けたかが予想されます。
口ほどにものを言う【目】で語ることのできた日本人は、霊性も高かったのだと思うのです。空気を読めるし、相手への忖度までできてしまう。それは、現代のパワハラのような、或いはゴマすりのような使い方ではなく、相手への尊重、思いやりからきていたはずで、ハートが開いていたことの証拠でもあります。何が相手の感情を害することなのかを鋭く察知し、相手への配慮を怠らない。お互いの間に行きかっているのは、気配りに他ならないのです。これを、外国の方は分からないと言います。
八百万の神々という、世界に類をみない多神教でありながらにして、無宗教という日本。また、お正月になれば初詣に神社に行き、お寺でもいいやとお守りを買い、お盆になればお墓参りをして、誰かが亡くなればお坊さんにお経を読んでもらい、結婚は教会でしたいという。仏さまを大切にして、困った時には神さまにお願い事をして、イースターやボジョレーやハロウィンもクリスマスも、何だか楽しそうだから『みんな』でやっておく日本人です。
こうした日本の現象に、海外の方は理解に苦しむかもしれません。が、これはつまり、受容性に富んでいるということかと思うのです。世界に誇れるほど、日本文化は素晴らしいです。そんな文化がありながら、他国の文化もすんなり受け入れることのできる受容性は、ハートの質です。自分の国だけが素晴らしいのではなく、『あなたの国も素晴らしい文化をもっている』という事実を認め、吸収することのできる日本人。更には、日本独特の文化として新しいスタイルを創り出してしまうこともありますね。抜群の受容性と創造性を持つ日本人の根底には、ハートがあるのではないでしょうか。
その証拠に、金メダルをとったヒーローインタビューでは、日本人は必ずこう言います。『皆さんのお陰でとることができました!』選挙で勝った人たちも言いますけど(笑)『皆さんのお陰で勝つことが出来ました!』何かを成し遂げた人も『今の自分が在るのは、皆さんのお陰です。』
栄光を手にした人の誰もが共通して言うのは【皆さんのお陰】なんです。特定の人を指すのではなく、全体なのですよ。応援してくれた人はもちろん、場を作ってくれた人たち、そこに至る会ったこともない全ての人たちへの純粋な感謝。自分だけの手柄だけではないという、日本人特有の謙虚さも称えたいところです。でも、それ以上に今回注目したいのは、全体の一部であることを、既に知っているという点です。
これぞ、日本人の集合意識なのではないでしょうか。ワンネスも、ハートが導くスペースです。
日本人の根底には、ハートが脈々と存在してきたのです。無用な争いを好まず、調和であることとはどういうことかを知っていた日本人。相手を尊重し、もてなす心を大切にしていた日本人。自分の利益を主張するよりも、全体の利益を考えることのできる日本人・・・だったはずなのですが、その日本人は今、どこにいってしまったのでしょう・・・?
私たちは、本来の持つ姿に還っていく必要があります。自分自身の天性に還りましょう。
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