人生は辛い。ときに迷い、ときに怖さを感じるもの。何をやってもダメな時もあれば、何もしなくてもスムーズに動くこともあります。
私たちには見えない、大いなる何らかの力によって、人生を作用しています。この世には、様々な法則があり、私たちはその法則の中で生かされています。因果の法則、宇宙の法則、引き寄せの法則・・・魂の旅は、そんなあらゆる法則に従いながら、与えられた宿命に耐え、運命と戯れ、使命に生き、人生を創造していくのです。
使命とは何か?
『自分の使命を知りたい』という相談者はとても多いです。
『こんなことをしているが、これでいいだろうか?』『こんなに努力しているが、結果がだせないのは使命ではないから?』
生きがいがなければ、あまりにもつまらない人生になってしまいます。情熱的に生きたい・・・そんな果てに【自分の使命とは?】に辿りつくのでしょう。使命は、誰にでもあります。自分の生まれてきた目的を知り、使命に生きることができるというのは、自分を活かすことができますし、自分の才能を還元できます。人に【与える】からこそ、生きることに力強さを感じ、喜びや充実感が漲るのです。良くも悪くも、与えたものが自分を通して循環するので、何を与えるかはとても大切です。
決して忘れてはいけないのは、私たち人間も、自然の一部ということ。
自然が与えた私たちの使命とは、どんなものでしょう。海には海の使命があり、山には山の使命があり、森にも森の使命があります。その中に生きる木、一本、一本にも使命があり、海や山に生息する生き物たち全てにも使命があります。
誰もが、意味あってこの世界に生まれ落ち、その役目を果たすことで満たされるようにできています。ところが、全員が同じ方向を目指すことが正しいという教育に、自分の歩むべき方向を見失ってしまう。『これでいいはず』と思いながら、どこかで違和感を感じている自分を窮屈に思い、情熱を注げる何か、充実感に生きる何かを探し求め彷徨う。
どれほど彷徨ったとしても、その答えは、自分の内にしか在りません。【自分を知る】というのは、遠回りのようで、一番の近道なのです。
【使命】に気づくのも、人それぞれのタイミングがあるのだと、いろんな相談者を見て思います。それが宿命であり、運命でもあるのです。自分の使命が何かを望むなら、必ずタイミングが訪れ分かる時が来ます。気付けばその道をずっと歩んできたという感じに、既に使命に生きていることさえあります。
使命が見つかったからと言って、人生が順風満帆になるとは限りません。使命に生きることは、私たち自身にどんな困難にも打ち勝てる力を与えてくれます。自分の才能が、大いに役に立つでしょう。内なる本質が、常に使命への情熱と繋げてくれるでしょう。そして何より、魂が、使命へとあなた自身を導きます。
【使命】とは生まれてきた意味であり、人生そのものです。【使命】に生きることで、私たちは充実感を感じながら、情熱を表現することができるのです。たとえどんな壁が立ちはだかろうとも、負けない強さを自分の内に秘め、やり抜く力と知恵を与えられています。そして、見えない存在たちもまた、その使命を応援してくれているのです。
宿命とは?
使命に生きようとして、どれだけ努力しても何も起こらない人がいる一方で、大した努力もせず成功を収める人がいます。私たちはそれを『運が良い』『運がなかった』と言います。この差は、一体なんでしょうか?
人間には、持って生まれた【宿命】があります。その【宿命】に生きることで、運命が与えられるます。
大輪の花を咲かせる牡丹やひまわり。誰もが、自分の人生もそうで在りたいと、憧れるかもしれません。人生、花を咲かせてこそと思う人もいることでしょう。ところが、牡丹は冬に強く夏に弱いのです。ひまわりは夏に咲き冬に咲くことはありません。
自分を知らないということは、真夏なのに牡丹を咲かせるためにエネルギーを費やしていることに、気づくことができないのです。自分を知らないばかりに、夏が終わって咲くことのなかった自分を憐れみ、なんて不幸だと嘆くことでしょう。
これをしているのは、私たち人間です。
自然は、自分が何者であるかを良く知っています。自分がいつ咲き、いつ散るかを知っています。そして【散る】ことは【終わる】ことではなく、次なる【開花】への布石として存在していることを知っています。永遠の命を、自然は私たちにその存在で教えてくれているのです。
生まれながらに持つ【宿命】に逆らうことは、辛い人生に自らしているようなものです。【宿命】は、変えることができません。生まれてきた日、親、兄弟姉妹、性別など、予め決まっているもの。変えることのできないもののことです。命に宿っているものが、【宿命】なのです。
自分が何者であるかを知らないというのは、見当違いなところにエネルギーを注いだ挙句、疲れ果ててしまうということ。真夏に咲くべきひまわりを、真冬に咲かそうとしているようなものです。どうして上手く咲かないのだろう?と思うなら、それは、ひまわりが咲く時期ではない冬だからです。
でも、もし自分が桜であることを知っていたらなら、厳しい冬を乗り越え、開花間近だということを悟り、その準備をすることができます。桜は春に可憐に咲き誇り、たくさんの人がその姿に癒されます。でも桜が、ひまわりのように夏に咲きたいと、黄色に咲きたいと、大きな花びらで咲きたいと願えば、その人生は過酷なものとなります。
これが、上手くいく人【運の良い人】と、上手くいかない人【運の悪い人】の差となって現れるのです。
自分を知るというのは、人生においてこれほど重要なことでありながら、それを学び、自分を理解する方法は中々ありません。自分のために自分を知るというのは、人生を上手く生きる大きなヒントになり得ます。自分が何者であるかを思いだすことは、自分を幸せにする上で必須です。
運命とは?
命を運ぶと書いて、【運命】。
宿命は逃れることができない、定められたものですが、【運命】は、その中で自分の意思によってコントロールすることができます。どんな友人と付き合い、どんな学びをし、どんな仕事をするのか?誰と結婚し、どこに住むのか?全てが自由意思であり、意志や行動で、どうとでもなるのです。
『振り返れば、あの時のあの出会い、あの出来事は【運命】だった』ということが、きっと誰にでもあるでしょう。【運命】は、劇的にやってくるものもありますが、日常の日々の何気ない選択も、【運命】と呼ぶことができます。その選択の積み重ねで人生が出来上がるのです。この何気ない選択には、私たちの根底にある過去世からのものが作用しています。
私たちは、生まれながらに好きなもの、嫌いなもの、興味の在るもの、ないもの、そんな傾向を何かしら持っています。これらは、魂の長い旅の反映とも言えます。それを、【カルマの法則】とも呼ぶことができます。カルマとは、何もネガティブなことばかりではなく、良いこともそうではないことも、自分の行いの結果を受け取るということ。反省すべき点は、大いに反省するよう【運命】が働き、徳があればあらゆる面で助けられる【運命】にあるのです。
出会いも、【運命】によるものだと思えてなりません。予め決まっている人に会い、そこから自分の選択次第で人生が創造されていく。私の人生は、こんな感じです!という青写真が誰にもありますが、それは【カルマの法則】と宿命にそったルートでもあります。自分の傲慢に気づかず、人への思いやりに欠ける人が、今生ではそこに気づくために『病気になり人の情けを知る』と決めて、生まれてくることもあります。これが運命です。ところが、自分の深い部分で今生のテーマを知っているなら、病気になる前に自分の傲慢さに気づき、反省し、人への思いやりを持つに至ることが可能となります。
病気になる運命を、自らの気づきによって変えることができるのは、自分を知っている人です。予め出会うことになっていた人からの言葉や態度、その積み重ねによって、気づけるのです。出会った人は、過去にあなたが助けた人だったのかもしれません。その人が、今生ではあなたを助ける。それもまた、【運命】なのです。
運命は、自分で変えることができます。
人生とは?
自分が、どんな人生を送りたいのか?それは、自分を知ることから始まります。
自分を知ることで、自分はいつ咲くかを知ることができます。絢爛豪華に咲きほこるために、いつ、どんな準備が必要かを知ることができます。自分を知るための学びは、人生を満たし、焦りや行き辛さを感じさせません。何故なら、自分が今、どんな時期に在るかを知り、何を受け取っているかに気づくことができるからです。
まだかまだかと、咲くことばかりに気が向けば、エネルギーは枯渇してしまいます。でも受け取っているものに気づけば、エネルギーは満ち、枯渇することなく、与えることができるのです。いよいよ咲く時期がくれば、準備万端で、自分を思いきり表現することができるのです。
それは自然が待ち望んでいることでもあります。あなたの使命が成されることは、自然の喜びでもあります。宇宙の望みでもあります。あなたが自分らしさに還り、自分を活かすことが、自分を幸せにする唯一の方法です。
私たちは、自分の人生を、自分で創造することができます。自分の人生は、自分でしか、創造することができません。誰もが、自分を知ることによって、魂の望む人生を創造していくことができるのです!
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