ハートと繋がってないと、どうなっているのでしょう?
私たちがハートにいない時、意識は当たり前のように【思考】と繋がっています。私たちは、脳にいるのです。知覚したものに思考が入れば、【良い】のか【悪い】のかとジャッジし、あらゆるものを予測します。これによって、せっかくの知覚をゆがめてしまうのです。制限させてしまう。深く感じることができないのです。
ハートに繋がると、繊細さをもたらします。【繊細】というと『弱い』というイメージが一般的になってしまっていますが、そうではありません。私たちの波動が高まれば高まるほど、エネルギーは繊細になり、あらゆるものに気づくことが出来ます。繊細さがなければ、肉眼の眼以上のものを視ることも、感じることも難しくなります。繊細だからこそ、あらゆるものに気づけるのです。
ハートはジャッジの無い世界。分析もしません。ただ感性が広がり、気づきをもたらします。さらに感じれば、もっと深く気づくことができ、深い理解を自分に与えてくれます。
『憎しみ』や『欲』など、一般的には手放さないといけないと思われているモノたちがいます。ですが、中心から視ると両方あっていいことを知ることができます。『憎しみ』も『欲』もエネルギーにすぎず、もし、それによって痛みを感じるなら、バランスが自然に起こりはじめます。より深い理解によってもたらされるものは、時に感動的で、時に感謝が溢れ、魂が成長するのを感じることができます。
例えば、どうしても『憎しみ』を向けてしまう特定の人がいるとしたら、その人への共感など、到底無理です。考えられません。
ところが・・・ハートに繋がると、相手の思いや考え方が、何となく理解できるのです。相手の人が何を感じ、どうして憎まれるような表現をするしかなかったのか?その背景が分かりだしてくるのです。相手への理解が深まると、あれほど憎しみを抱いていたはずなのに、胸が痛むほど気の毒に思えてしまうのです。自分の愛を、ほんの少しでも相手の助けになるなら、存分に分け与えたくなるような、そんな気持ちにさえなります。これがハートです。もはや、『手放す』とか『手放せない』とか、そんな次元ではなくなるのです。
『欲』も同じことが言えます。あれが欲しい、これが欲しいと、私たちは表面だけを見て欲しがっていますが、深めていくと自分が本当に欲しいものに突き当たります。強欲から欲しいわけでは無く、自分の本質を感じたかっただけだということが分かるのです。ハートからそれを引き寄せると、自分の欲しいものが手に入るのと同時に、周りの人やもの、環境、状況にも、恩恵がもたらされます。思考は、自分のことしか考えられませんが、ハートは、全体を愛で包み込むかの如く、全てが満たされるように図らってくれるのです。
ハート瞑想®は、そんな感覚を養い、自分自身を明らかにしていくことができます。人生は、自分にどんな問いかけをするかで大きく変わります。その答えが、ハートからのものであるなら、あなた自身は勿論のこと、あなたを取り巻く全てが活力に満ち、喜びと感謝の中で人生を創造することが可能となることでしょう。
この記事へのコメントはありません。