美味しい料理を作って食べる!と思うなら、私たちは実際に【行動】に移す必要があります。
美味しそうな本をたくさん読んで、全てを丸暗記しても何も食べることはできません。材料を揃え調理して初めて料理が出来上がります。美味しいものを作りたいのなら【経験】が必要なことは誰もが知っていることです。
エドガー・ケーシーに学ぶ経験の必要さとは?
あらゆる法則の中で、この世界は成り立っていますが、自分が行動してみて初めて、その法則を理解することができます。
エンドガ-・ケーシーは、経験の大切さをこう言っています。
法則の意味は行動してはじめて理解される。知ってなにもしないのは、生命の法則に反すること。まず知ること。次に知ったことを行動に移すことが理解することとなる。
はじめに目的を持ちなさい。
今、自分がどこにいるかを調べて、確認した上で、その場所から行動し始めなさい。
そしてその結果は、全ての良き完全なものを与えてくださる全一なる生命エネルギーにまかせなさい。
自分の理想は何であるかを知りなさい。そしてそれを実行しなさい。何もしないよりは、悪いことでもした方がましである。
ー エドガー・ケーシー ー
私たちは偶然、この世界にやってきたわけではありません。計画に従ってやっていきているのです。計画とは、これまでに抱いた理想を、達成すること。一人ひとり、何かしら達成することがあって、生まれてきています。それがこの人生でのテーマであり使命です。
今、この瞬間でさえ、理想の達成を求め続けています。私たちがこの世界でやりとげることが出来るのは、『自分がハッキリさせた理想だけによって決められてしまう』とケーシーは言い切っています。何故でしょうか?
私たちは、自分が人にもたらしたことだけを自分のものにすることになります。もし、人生を生き生きとさせたいならば、他の人のためにそのエネルギーを使って行動しなくてはなりません。真、善、美について理解するには、それを実際に生活の中に生かしてみなければ、自分のものにはならないということです。それが、この世の法則だからです。
『自分を愛する』ことを真の意味で理解しているなら、自分の愛を他の人に分け与えることはとても簡単です。しかしながら、私たちは頭だけの理解で自分を愛するので、当然自分に余裕がない時には、人を思いやることなど到底できません・・・。そうなのです。頭の理解がいくらあっても、実際に落とし込むには経験が必要なのです。
真の愛に触れる経験とはなんでしょうか?
それは、内なる自分に触れることです。自分の内に在る、揺るぎない愛の存在を、実感することにあります。この経験があるからこそ、自分は大丈夫と思え、穏やかに、平安でいることができるのです。自分の内に愛を発見している人は、一見、困っているような状態にあったとしても、難なく人に与えることができます。それは『良い人』になるためではなく、『やせ我慢』でもなく、それが当たり前でとても自然なことだから、ただ、そうするのです。
自分の内に在る愛に触れるのは、過酷な修行が必要なわけではありません。ただ、自分の内に在る愛を【感じる】だけです。自分が何者であるかを思い出していくだけなのです。そこに努力は必要ありません。むしろ、リラックスし、自分自身を緩めることの方が大切です。
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