もう、随分と前の話になりますが、長いこと、会社で働いていました。そうした世界が当たり前だと思っていたことがあります。『ここを失ったら生きることが困難になる』と信じ込んでいたところがあって、当時の私は、いろんなことに我慢して、妥協して、自分と折り合いをつけながらの日々でした。
そんな私にも、転機が訪れ会社を辞めるに至るわけですが、そうなってみて初めて知る世界がありました。
仕事って、まるで遊ぶように楽しく過ごしながらでも成り立つものなのかと、新しく出会っていく、たくさんの方々の生き方を通して知っていくのです。そこから、会社員という道よりも、自分を生きるという選択をしました。そうやって私は、自分を生きる!楽しく生きるのだ!と思い、そのまま意気揚々と、人生の迷路にハマっていくのでした・・・。
ダメな自分、情けない自分、期待に応えられない自分
私も子どもと遊びながら、楽しんで収入を得る!と思って始めたお仕事。その内容は本当に素晴らしく、子どもにとってかけがえのない人生の礎になるような、とても素敵で大切なお仕事でした。でも私は、その仕事に誇りを感じられなくなっていくのです。
せっかく資格を取ったのだからと、やればやる程苦しい。
全然楽しくない。苦痛でさえありました。遊ぶように仕事ができるはずだったのに、そんな自分にうんざりしてくる始末。
何かが違う・・・。こんなはずじゃなかったのに。私は、何が違っているのか分からず、自分をどうすることもできませんでした。いつも『違う』という思いと『まだこんな所にいる』という、焦りにも似た感覚が、私を急き立てます。
そこから、興味の趣くまま、いろんなことを学び、その度に『それになる!今度こそ!!』と張り切っては、無駄足を重ねていくのです。何度も『やっぱり違う、こっちだ!』『違うかも、じゃあ、こっち!』・・・と繰り返していくと、つくづく自分が嫌になります。
どうしてこうなんだろう。どうして、他の人のようにそれに熱中出来ないの。どうして私はこんなに飽きっぽいの。
薄々感じてはいましたが、もう、認めざる終えません。私は、自分が大嫌になっていました。
認めたくなくて、気づかないフリをしていましたが、興味が次から次へと移っていく自分を、バカじゃないかと思いました。周りを見渡せば、その道で活躍している同期たちが輝いていて、そうした姿を見る度、自分が情けなくなりました。続けることの大切さを思い知るのですが、私には、続けられなかった。
ダメだな。私は。
そうやって、自信も誇りも、何もかも失くして、結局私は何もできない、ただの浪費家の主婦になっていただけでした。。。
全体像が見えない【不安】を【安心】に変容
もう、何かになることは諦めました。
それなのに、私の興味が止むことはなく、自分のためにと学びは続くのです。せめてこの迷路から抜け出たい、そんな一心でした。どろ沼だと分かっていながら、わざわざ入っていくようなものでした。分かっていながら、どうして自分を止める事ができないのでしょう。
そんな日々の中で、私は、とうとう瞑想に出会うのです。
自分にこれほど自信を失っているというのに、自分に聴けと。そんな自分の答なんて、信用できるはずもないのに、自分を信じろと。心がささくれ立っている私は、そうじゃない!答えが欲しいだけなのに!!と苛立つのですが、答えは内に在ると・・・。
あるとき、私は瞑想で、自分の人生を俯瞰的に見ることをしました。何の一貫性もない、これまで私がやってきたことは無駄なことばかり。ハートを通して見ようが、そんな自分の人生は、さぞ、滑稽な景色なのだろうと、まったく何の期待もしていませんでした。
1つのことを、続けてこれなかった、私のジグザグした人生・・・。
ハートはそこに、共通点があることを見せてくれたのです。それはまるで、一本の光の道筋のようでした。
『ああでもない』『こうでもない』と、いろんなことをしてきて、その度に全く違うことをやり始める自分の性分が、嫌でたまらなかった。でも、あっちにもこっちにも繋がりを見出すことによって、私の全体像は完成間近のパズルのように、そこに何が描かれているかが浮かびあがってきたのです!ハートによって、見えなかったものに、気づかされた瞬間でした。
私の飽きっぽさだとばかり思っていた経験の数々は【感動】というものを全て指し示していたのです。あなた自身に【感動】を起こすという共通性。どの分野を学んでも、そこにはまだ見ぬ誰かの、その人自身の【感動】スイッチを押すための必要な学びだったのだと、思い知ったのです。
すると、私に何が起こったでしょう?
私は、私自身に感動したのです。とめどなく涙が溢れました。自分に嫌われながらも、泣きながら、よくここまで続けてくれたと、自分自身に深く深く感謝が溢れました。自分を抱きしめて、労いました。私は、『情けなくて、いつも期待に応えられない大嫌いな自分』を、心から誇りに思い、尊敬し、とめどなく感謝したのです。
人生は大冒険!全ては安全で完璧に満ちている、魅惑の惑星【地球】
以前にも記事にしたことがあったのですが、人生は、ほんとに『初めてのお使い』のようだと、つくずく思うのです。一度くらいは目にしたことがあるかもしれません。あの番組を見ると、泣いてしまうという方は多いはず。
それこそが、私たちの人生そのものだからです。
すぐそこまでのお使いだとしても、小さい子にとって、それは大冒険です。そこに犬(恐怖)がいて、どうしても通ることができない。どうしようと思っていると、向かい側に花(興味)が咲いていることに気づく。花と語らっていると、そのうち蝶(好きなもの)が現れて、追いかけているうちに、犬(恐怖)を通り越すことができている自分に気づく。気分よくお買い物を済ませ、誇らしさも一転、重たい荷物(ブロック)に足取りも鈍くなり、天候(状況)も悪くなってきて、でもお家はまだまだ遠い。てくてく、てくてく歩いて、疲れて、泣きながらも歩みを止めない。
それは、私だ。そしてそれは、あなたなの姿なのです。
私たちは、気づこうが気づくまいが、大きな愛によって常に導かれています。いつでも見守り、危険に遭わないよう、万全の体制がひかれています。
やっと家(中心)に帰りつくと、そこには最愛の人(無条件の愛)が、両手広げて待っていてくれる。私たちも、それぞれの道を歩みながら、懐かしい我が家へと、誰もが還っていくのです。そしてね、還ると『必ず辿りつける』と微塵も疑うことなく信じて、ひたすら見守り続け待っていてくれた、もう一人の自分に出会うのです。
不思議なもので、冒険の渦中は、小さな子どもの気持ちしか分からないのですが、家に辿りつくと、その子の思いと、待っていたもう一人の自分の気持ちも同時に分かるのです。双方が、ありがとうという気持ちでいっぱいになる感じは、至福そのもの。これ以上の安らぎを、これほどの喜びを、これだけの愛を、私は他に知りません。
私たちはどんなときにも愛によって、全てが包まれ、全てが満ちていて、完璧だったのです。
振り返ってみてください。私たちは、なんて美しい道を通ってきたのでしょう。私たちが通ってきた全ては、かけがえのない、自分だけの栄光の道です。どの経験も、全て、貴重なものばかりでした。それは、手に取ることもできない、過去と言えばそれまで。
でも、決して消し去ることのできない経験が紡ぎ出す【今】を、あなは輝きながら生きているのです。【今】を照らすあなたが与えるものの大きさは、とても計り知ることはできません。誰にもできないのです。それほどまでに、あなたは可能性に満ちています!何も知らないまま、どうか、懐かしい我が家への足取りを止めないで。進め!進め!進み続けて!
自分を、信頼していいのです。大丈夫です。あなたは、何一つ、間違っていません。あなたのパズルは、じきに完成します!
自分自身に、確かめてみるといいのです。次回のハート瞑想®オンラインクラスは7/10です。テーマは【変容】です!
魂の望む生き方を願うなら、あなたは、あなた自身に還る必要があります。さあ、ご一緒に、真の自分に還りましょう!
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